黒毛牛を見ながらサーロインステーキを食べつつ食育について考える




ご縁がありまして、黒毛牛様たちが集う某所へ連れて行っていただきました。
うーんと、今回の目的はね、牛を見に行くというよりも、ランチだったのです。
農業レストランっていうの?そこでお食事するんですけどね。
まあ、その横に、ね。牛たちがね…

牛を見ながら牛を食べる残酷さ

まず誤解しないでもらいたいのは、 これは決して、レストランの存在を否定して言うわけではないのです。 確かに最初にこのプランを聞いた時は、「え、ちょっと…」と複雑な気持ちになりました。牛を可愛い可愛い言いながら写真を撮って、その牛たちがいる横で牛を食べるの?ってね。

確かに普段から当たり前のようにお肉を食べて生活している我々ですけど、その横にお肉になる当の本人がいるとなると、ちょっと気持ちが違ってくる。
それはもうなんとも微妙な気持ちです。

「命をいただく」ということを教わったあの頃

私が牛という動物を特別好きになったのは、高校生の頃です。

それまで私は、牛を間近で見るという機会がありませんでした。
夏休みにたまたま家族で出かけた場所に牧場があって、その日は運良く、牛たちがみな柵ギリギリのところまで出てきてくつろいでいました。

その牛は私に対し、横向きで座っていました。
顔は私の方を向いてはいないわけで、目は合わないはずなのです。

ところが、その彼女(牛)はね。

ものすごい横目で私のことをじっと見ていたのです。

この時の写真、とってあります。

ちょっと写真自体がボケてて見づらいですけど…

この牛の横目が、私の中にものすごく強烈な印象を残したのです。
なんだかときめいたんですよね。牛ってすごく優しい目をしてるんだなあ、可愛いなあって。

実はこの日以降、私はしばらくお肉料理を食べられなくなりました。
「こんな可愛い子たちを刻んで焼いて食べていたなんて…」と、激しい罪悪感に苛まれたのです。

ある日学校で、動物好きの同級生にこの話をしました。
友人は、私にこう諭してくれました。

人間は昔から他の生き物の命をもらって生活するようになっている
人間がひとり牛を食べなくなったところで、牛が食肉にされるために殺されることに変わりはない
それならば、その命をもらうことに感謝して、美味しくいただくべきだ

単純な私はこの言葉に感銘を受け、再びお肉を食べるように。
ただ、 「肉や魚を食べること」は「命をいただくこと」 という意識に変わりました。これは私の中ではすごく大きな変化でした。
元々生き物は何でも好きでしたが(ゴキブリ・ムカデ・カメムシはごめんなさい)その「好き」という一言の中に、感謝という感情が混じるようになったのです。

ちなみにこの友人は、後に獣医さんで働くようになりました。

映画「ブタがいた教室」に関連するドキュメンタリーについて

何年か前に「ブタがいた教室」という映画がありました。

 

実話が元になっているそうですが、実は私はこの映画は見てません。

ただ、この映画に関連してだったのかはわからんけど、ある日夕方のニュースでこんなものをやっていた。

matome.naver.jp
これたまたま見てたんですけど、相当のショックと違和感を感じました。

ペットのお肉は食べられない

小学生たちが、イチから豚を育てる。
名前をつけ、一生懸命お世話をする。

しかし一生懸命お世話をして可愛がったその豚は大人たちに連れて行かれてしまう。
豚は必死で抵抗するが、無理矢理引っ張られ車に乗せられる。その姿を見て子どもたちは当然号泣。
そしてスーパーに並んでるみたいな肉になって子どもたちのところへ帰ってきたのです。
その肉を見て子どもたちは絶句。

更に、一生懸命可愛がって育てたその豚を食えと言ってるわけです。子どもたちにとってはトドメの一発です。
泣きながら食べる子どもたち。
おそらくこの出来事は、大きなトラウマとなって子どもたちの心に残るでしょう。 見てるこっちもかなり辛いものがあった。

もちろん畜産農家さんたちだって、愛情を込めて可愛がって育てています。
ただ、子どもたちと違うのは家畜だと割り切っているということ。

同じことを子ども…それも小学生に要求するというのは、かなり無理があるんじゃないだろうか。やるなら育てて出荷するまでの過程に相当の気を遣って練り込む必要があります。

ただ育てて可愛いというペット感覚な気持ちが子どもたちの中に生まれてしまった。ペットと家畜の区別をつけさせるということをしなかった。その時点で失敗です。
まあ豚たちに名前をつけてしまった時点で間違ってると思うけど。

私に「ハルさんやご隠居が死んだら感謝してお肉にして食べなよと言ってることと同じことなんですよ。
いや〜無理でしょ。食えませんよ。

年齢に合わせた食育を

テーマ自体は別に悪いことではなく、むしろ子どものうちから意識させることは良いことだと思う。
ただ、生き物の命と人間の欲に関わることですから、教える相手が若ければ若いほど難しい。豚に名前をつけたが間違いだと先に書きましたけど、教師が名前をつけろと指導しなくても子どもたちは自分たちの意思で名前をつけてしまったんじゃないかと。
まだ小学生の子どもたちに、このやり方はあまりにも早すぎた。
子どもたちの一生懸命で純粋な心をズタズタにしただけなのでは?

色々と突っ込みどころが多過ぎて、これでは食育とは言えないと思う。何の教育にもなっていない。
映画の方は観ていないと先に書きましたけど、こうゆうわけでとても観る気にならない。

生き物に感謝して「いただきます」

ご飯を食べる前に手を合わせて「いただきます」と言うことは、それこそ随分と小さいうちから教えられます。

このいただきますの中には、2つの意味があります。

ひとつは、作ってくれた人への感謝の気持ち。
もうひとつは、食材となった生き物への感謝の気持ちです。

動物だけではありません。
野菜や果物、植物も生き物です。

私たち人間はいつも何かの命をもらうことでご飯を食べ、生きることができます。
それだけは決して忘れてはいけないね。