以前、「わたしのジブン手帳」という記事を書いた際、週間ページについて、こう書きました。
心療内科通院時におこなっていた認知行動療法を継続するということで、簡単な生活記録ですね。
その心療内科通院時に書いていたノートが1冊だけ残っています。最後となった1冊です。
5年近くやってましたから先に使っていたノートが何冊かあるはずなんですが、捨ててしまったのか離婚した時に置いてきてしまったのか、手元にはこの1冊しか残っていません。
この頃にジブン手帳の存在を知っていたら…
ノートの中身はこんな感じ。

オール手書き。
ひきこ森でしたからほとんどゴロゴロしてるね。
このノート、毎週毎週ページが切り替わる度に線を引き時間を書き…別に時間のかかる作業ではなかったんだけども、非常にめんどくさかった。
病院の課題でしたから、めんどくさくてもやらないといけなかったんだけど。
初めてジブン手帳を見た時、「こんなに便利なものがあったなんて!」と衝撃を受けました。
線引かなくていいんだもん。見た目もきれいにできるし。
それで初めてジブン手帳を買ったのが、2014年でした。
【余談】人間の1日の歩数はだいたい6500歩らしい

ノートの一番下に書いてある数字。
これは、1日の歩数です。万歩計を付けて、1日どのくらい動いたかを書くように、と。これも病院から課題で出されたものです。
普通に働いている人で、だいたい平均6500歩。
いつも家にいて、例えば布団とトイレと行き来するだけだと、だいたい600歩だそうです。
私は1日家にいる生活で、この時は家事もやれてたのでだいたい2500歩ってところですかね。
とにかく布団とトイレの行き来だけの600歩を避けることを目標にやってた頃です。2011年かな?
このノートが終わる頃にはだいぶ波の幅が落ち着いてきていて、この翌年に社会復帰しました。
「ごく普通の一般的な生活」を目指す訓練だった
「普通」の定義なんて人によって様々で、「だいたいが普通ってなんなの?」って話なんだけど、普通というよりも「一般的」という言葉を使った方が良いのだろうか?どっちも一緒か。
とりあえず鬱で寝っぱなしになっていたり躁で変にエキセントリックになってたりっていうのは、普通とは言えないだろうなと思う。
たとえば躁鬱の人は躁と鬱しかなくて、自分の「普通」がわからなくなっちゃうんですよ。忘れてしまうんです。
自分の中にある「普通」を見極め、ごく一般的な生活を目指しましょう、自分をコントロールできるようになりましょうっていう、その為の治療であり、このノートであったのだと、自分の中ではそうゆう理解の仕方をしています。
もっと言えば、あれは治療というよりも訓練だったのかもしれません。
それで今も、ジブン手帳で同じことを続けているわけです。